-もりたへいながやもん
【母里太兵衛長屋門】 (移築・現存)

「黒田節」母里太兵衛の屋敷にあった長屋門。
母里太兵衛長屋門と桜花
母里太兵衛屋敷は、今の天神二丁目、野村證券の地にあったが、
昭和四十年、現在地に移築された。
福岡県指定文化財。

母里太兵衛(母里友信)は黒田二十四騎の一人で、
福島正則の勧める大盃を飲み干し、名槍「日本号」を譲り受けた。

慶長十一年(1606)九月、江戸城天守台の石垣を築いた功績で
将軍秀忠から太刀を授かった。このとき、宛名書きに毛利太兵衛とあったので、
それ以来、毛利太兵衛ともいう。