-じょうかまち
【飫肥城 城下町】

大手門のそばにもレンタサイクル屋さんがあったので、さっそく借りて行ってみよう。


■豫章館(よしょうかん)
 豫章館は、飫肥城大手門のすぐ南に隣接している。
 明治二年(1869)、旧飫肥藩主・伊東祐帰(いとうすけより)がお城からここに移り住んだ。
 母屋は飫肥城本丸御殿から移築したものだそうだ。
   



■振徳堂(しんとくどう)
 振徳堂は、飫肥藩の藩校で、藩主・伊東祐相(いとうすけとも)が天保二年(1831)それまでの学問所を増改築してつくった。
 若き日の小倉処平(おぐらしょへい)や小村寿太郎(こむらじゅたろう)もここで学んだ。
 玄関の長屋門は当時のものだそうだ。
  藩校・振徳堂 長屋門



■小村寿太郎(こむらじゅたろう)
 小村寿太郎は明治時代の大外交官で、日英同盟締結、ポーツマス条約の全権大使、不平等条約撤廃と大活躍した。
 飫肥藩の小禄徒士の家に生まれ、その生家跡が公園になっている。また、墓は伊東家廟所の隣にある。
  小村寿太郎の誕生の地 小村寿太郎の墓