-げんこうぼうるい・ももち
【元寇防塁〜百道】
(昭和六年国指定史跡)

西南学院の防塁(人と比較して大きさが分かる)
百道の防塁を担当した国は不明である。

百道浜(ももちはま)の元寇防塁指定地は2ヶ所あるので、
ここでは西側を藤崎、東側を百道と呼ぶことにしよう。

平成元年(1989)のよかトピア以来、急速に新たな町ができた百道(ももち)は、
文永十一年(1274)、蒙古軍が上陸してきた地点、百道原(ももぢばる)だ。

その百道の西南学院大学の体育館裏に元寇防塁が復元されている。
復元された防塁
例によって、下のほうは地中に埋まっているので高さは1mくらいだが、
まわりの土地が盛り上がっていて、往時を偲ぶことができる。

元軍上陸地のためか、皇族の方々(良子女王、久邇宮、梨本宮、閑院宮)のお手植えの木が並んでいる。
お手植えの木々


さて、「しぇ〜なん」こと西南学院大学の構内にも防塁が復元されている。
現地案内板によれば、一号館新築の際に出土した防塁を、12m北へ移し復元したものという。
西南学院大学構内の復元防塁 


場所 福岡市早良区西新七丁目
アクセス JR博多駅から国道202号線を西へ進む。元寇防塁探索には、古いほうの202号線が便利。 
約7キロ先の「防塁」交差点を右折、200m先の四つ角を左に曲がった右側。
ここも駐車場はないし、道が狭くて停めるところもない。202号線沿いのコインパークへ停めよう。
西南学院大学構内の復元防塁は、そこから東へ200mくらい。学内の中庭(?)にある。
分からなかったら、西南の可愛い子ちゃんに尋ねよう。