-もうこづか・しかのしま
【蒙古塚〜志賀島】
首斬塚に建つ蒙古軍供養塔。
金印で有名な志賀島は、元寇にもゆかりがある。
文永十一年(1274)、上陸した元軍と日本軍が赤坂付近で激戦に及んだ翌日、十月二十一日、
なぜか元軍は博多湾から姿を消していた。
このとき、志賀島に一艘の蒙古軍船が座礁し、蒙古兵120人ばかりが斬られている。
その地に、昭和三年(1928)、日蓮宗の僧、高鍋日統(たかなべにっとう)の提唱で蒙古軍供養塔が建てられた。
志賀島は、弘安の役(弘安四年・1281)でも元軍が上陸し、
海の中道を伝って進む日本軍と陸戦が行われているが(折居正勝 「蒙古襲来・弘安の役における志賀島合戦」)、
この供養塔はそれではなく、文永の役の難破船が対象だということだ。
さて、供養塔は中央に「南無妙法蓮華経」、その下に「蒙古軍供養塔」とある。
「蒙古軍供養塔」の文字は当時の田中義一首相。
さらに、左右に「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道」とあるが、
これは東郷平八郎元帥とのことだ。(柳 猛直 「福岡歴史探訪 東区編」海鳥社)
そして、供養塔前の石版には、「蒙古軍供養塔讃」が彫られているが、
なんと「張作リン書」とあった。
ええっ、ホンマか!!
柳猛直氏によれば、昭和三年(1928)三月七日の供養塔除幕式には、
張作リンが祝辞を寄せているとのことだ。この讃はそのときの文だろうか。
う〜ん、わが地元にこんな貴重なものがあったとは、全然知らんかった。
満州某重大事件で張作リンが爆殺されるのは、除幕式の三ヵ月後、昭和三年(1928)六月。
田中義一首相が昭和天皇から叱責を受け総辞職するのは、その翌年、昭和四年(1929)七月、
急死したのは同年九月のことだ。
何か因縁のようなものを感じるなぁ。
場所 | 福岡市東区志賀島 |
アクセス | JR博多駅から国道3号線を東へ進む。香椎を過ぎたら福岡女子大前で旧3号線へ入ろう。 「和白」交差点を左折すると、あとは志賀島までまっすぐだ。 別ルートとして、最近は和白沖に人工島ができたので、箱崎埠頭から人工島経由で行けば、一気に雁ノ巣レクリエーションセンターまで行ける。 志賀島橋を渡れば、いよいよ志賀島だ。突き当りを左折し、島を時計回りにまわろう。 金印公園を過ぎて少し行くと、道路右手に蒙古塚の看板がある。 車は看板ヨコの駐車場に停めれば無料だ。 階段を上がると、そこが蒙古軍供養塔である。 |