-ひがしがくもんじょ
【東学問所跡】


上の橋を出たところにある藩校・修猷館跡。
東学問所跡
天明四年(1784)二月、福岡藩の藩校として東西ふたつの学問所が創立された。
東学問所を修猷館(しゅうゆうかん)西学問所を甘棠館(かんとうかん)という。

西学問所(甘棠館)は寛政十年(1798)、火災で廃校。
一方の東学問所は明治まで続き、廃藩置県で廃校となった。

その後、旧藩主・黒田長溥(ながひろ)らが修猷館の再興を計画、
旧藩士で修猷館出身の金子堅太郎が実行した。

明治十八年(1885)、福岡県立修猷館が天神町に開校、
明治二十二年(1889)、福岡県立尋常中学修猷館と改称し上の橋のこの地に移転した。
さらに、明治三十三年(1900)、現在地の西新町に移転、福岡県立中学修猷館となった。
修猷館が西新へ移ったのち、ここには福岡神学校が開設された。今の西南学院である。

現在の修猷館
現在の修猷館高校の新校舎。