-にしがくもんじょ
【西学問所跡】


唐人町にあった藩校・甘棠館跡。

天明四年(1784)二月、福岡藩の藩校として東西ふたつの学問所が創立された。
東学問所を修猷館(しゅうゆうかん)、西学問所を甘棠館(かんとうかん)という。

西学問所(甘棠館)が開校された天明四年(1784)二月一日からおよそ二十日後、
二月二十三日に志賀島で金印が発見された。

さっそく、甘棠館祭酒(さいしゅ=館長)の亀井南冥(かめいなんめい)がこれを考察し、
「後漢書」東夷伝の建武中元ニ年(西暦57年)、光武帝が与えたものと推理した。

西学問所(甘棠館)は、亀井南冥を慕ってか、人気があったらしいが、
寛政十年(1798)、火災で廃校となった。


現在は、唐人町三丁目の当仁小学校(とうじんしょうがっこう)裏の八橋神社ヨコに
小さな石碑が建つだけである。
案内板によれば、下の写真あたりが西学問所のあったところだという。


一方の東学問所は明治まで続き、県立修猷館高校として今に続いている。